バス停に気を取られるお二人。
実はここ
軽便鉄道跡
そう、ここにはかつて、鉄道が走っていました。
成田鉄道八街線という、八街市の八街駅から成田市の三里塚まで走っていた、鉄道です。
1914年から1940年の間、地域の足として運用されていました。
ただし、速度が遅く、乗客は走れば追いつけたというほどの速度だったようです。
運用期間はたったの26年。最後は八街市の飛行場が施設されるために、廃止となりました。
成田鉄道は多古線もあり、こちらは規模がもう少し立派で、匝瑳市の八日市場駅から成田市の成田駅までを走っていましたが、これはまたの機会にでも。
ちなみに前回の記事でご紹介した、こちらの機関車が、八街線を走っていた機関車です。見るからに力はなさそうです・・・。
これに客車2両+荷物車1両などを引っ張っていたので、そりゃ走れないわな・・・。
十倉駅は廃止される9年前に新設された駅で、八街線最後の駅です。
かつての十倉駅には、バス停があり、当時の面影は一切残っておりません。
写真に写るお二方は鉄道が好きで、歴史も好きなので、さらっと廃線の話を出したら食いついてきたので、一緒に散策した次第です。
このバス停が、かつての十倉駅です。
続いてはこちら
富里駅
現在は「富里四つ角バス停」があります。
面影はありません。
ちなみに、十倉駅から富里駅間の道路は、ほとんどが線路を沿う形で道路が施設されているので、八街線の線形を見る事は可能です。
緩やかなカーブがあるので、「あぁここね」と解るかも知れません。
このほかにも富里や八街には、鉄道連隊の軍用線跡が残っていたりするので、調べて訪れるのも面白いです!
私は毎日八街線の廃線跡を車で走って通勤しているので、こんな身近に鉄道の歴史があるなんて、と改めて感じます。
今回同行していただいた利用者さんには、八街線の写真をお渡ししましたが、「次はいつ見に行けるんだ?」と廃線跡に行きたいようです(笑
たまにはこういった、職場付近の歴史をご紹介するのもありでしょうか。。。
また記事にしたいと思います。
それでは!